CCOインタビュー Vol.4(筑波メディカルセンター病院 中山さん)
今回のCCO*インタビューは筑波メディカルセンター病院の中山さんです。開院したばかりの同病院に新卒で入職されてから、院内の数々の部署において業務を経験され、現在は副院長と事務部長を兼任されています。「自ら考え行動する」をモットーに地域医療連携活動の黎明期から全国の地域医療連携担当者と繋がりを持ち活動されてきた中山さんに、これまでのご経験と求める病院職員像についてお話を伺いました。
* CCO(Chief Communication Officer)とは「組織におけるコミュニケーションの統括責任者」のことです。日本国内の企業においてはグローバルIT企業を中心に任命する組織が出始めています。コミュニケーションが経営戦略においてますます重要度を増す中で、経営陣の一人として、社会の人々との関係に責任を持つCCOを任命する企業が増加しています。
目次
CCO4人目
公益財団法人筑波メディカルセンター 筑波メディカルセンター病院 副院長・事務部長
中山 和則さん
病院を取り巻く環境
筑波メディカルセンター病院は茨城県県南地域において地域の中核医療機関としての役割を担っています。つくば二次医療圏には、急性期病院は大学病院を除いて主に3つありますが、リハビリが必要な患者さんを逆紹介できる回復期リハビリテーション・療養型病棟を持つ病院の数が少ないことが特徴です。診療所・クリニックの数は多く、筑波メディカルセンター病院では約460件の地域医療機関が登録医として登録されています。急性期病院としての役割を果たすために、筑波メディカルセンター病院では後方連携先との病病連携に力を入れてきたそうです。近年は、前方連携、後方連携、広報活動のそれぞれに力を入れていて、患者さんが最適な医療を受けられるように地域連携活動を強化しています。
なお、前方・後方連携という言い方は、急性期病院からみた呼び方で私はあまり使いたくないのですが、一般的にわかりやすいので本日はこの呼び方を使わせてもらいます。
病院概要
病院名)公益財団法人筑波メディカルセンター 筑波メディカルセンター病院
所在地)茨城県つくば市天久保1丁目3-1
病床数)453床
インタビュー
新卒から現在までの経歴を簡単に教えていただけますでしょうか?
あるメーカーから内定をいただいていたのですが、配属先が福岡だと言われました。実家を継ぐ必要があったので内定を辞退させていただいて、大学4年生の10月から再び就職活動をしました。時期も時期だったので、地元の就職先はなかなか見つからなかったのですが、前年に設立されたばかりの当院が職員を募集していて、病院は安定した就職先として魅力的だなと思って応募したのが入職のきっかけです。今の専門学生の方が志は高いと思います。
先日インタビューさせていただいた函館五稜郭病院の船山さんと同じ理由ですね!院内で複数の部署をご経験されたと記事で拝見しましたが、入職されてから現在に至るまでにどのような業務をご経験されたのですか?
最初に配属されたのは経理課で、医事外来課、連携室を経験し、その後、健診センターが単独移転して開業した時に営業企画課に異動しました。病院に戻ってからは医事入院課・総務課・連携室を経て副院長兼事務部長になりました。4年ごとに異動していたのでオリンピック選手と呼ばれていました。
現在はジョブローテーションを導入する病院様もあるようですが、中山さんは図らずもジョブローテーションされていたんですね。仕事にやりがいを感じたのはどんなことがきっかけだったのでしょうか。
最初に配属された経理課では、とにかく患者さんに怒られました。患者さんは来院して最後の最後に会計窓口にいらっしゃるので、「待ち時間が長い」「医師や看護師の態度が悪い」など積もり積もった不満を吐き出す場所でした。ミスをすれば上司にも怒られますし、辛かったです。
設立されてからまもなくで、当時はオペレーションも確立されておらず大変だったかと思います。どのようにやりがいに変わっていったのでしょうか?
患者さんときちんと向き合ってコミュニケーションを続けていくうちに、最初はクレームを言っていた患者さんとも顔見知りになって、ある日突然味方になってくれたりするんです。他の患者さんが不満を仰っているのをたしなめてくださる方もいらっしゃいました。患者さんに認めてもらえることにやりがいを感じ始めてからは仕事が楽しくなりました。自分では当たり前だと思ってやっているようなことでも、患者さんが大変喜んでくださったり、感謝されたりするのは病院ならではだなと思うようになりました。
ちなみに、事務長と兼任で副院長を務めるのはあまり一般的ではないように思いますが、どういった経緯だったのでしょうか?
当院では病院長をサポートする役割として、医師、看護部長、事務長が副院長を務めています。病院で扱う情報が多岐に渡るようになり、院長がすべての情報を集めて分析するのは難しいのでサポート職を設けているのです。私の役割としては、外部の団体からできるだけ広範囲に渡って情報を集めてきて、それを元に当院に合った方法を検討し提案することです。
ありがとうございます。ご経歴の中で特に印象に残ったことを教えていただけますでしょうか?
1994年に院内の健診機能が独立して「つくば総合健診センター」を開設しました。受診できる枠がそれまでの2倍になったのですが、当初の予想に反して予約が埋まらなかったんです。その課題を解決すべく営業企画という部署が新しくできて、私に白羽の矢が立ちました。最初は「病院なのに営業?」と思いましたよ。結果が出るのは早くても翌年なので、活動の効果が出ているのかどうかも分からず不安な日々が続きました。
営業のノウハウがない中で、どのような活動をされたのですか?
今でこそ当たり前ですが、営業活動をしている中で健診の補助金制度が整備されていなかったり、周知されていないことに気づきました。各市町村の国民健康保険を所管する部署を回って予防医療の観点から補助金制度の提案をしたり、健康保険組合や協会健保にも営業に行ったりしました。さらに、中小企業にも飛び込み営業に行って「従業員に健診を受けさせましょう」と提案もしました。形のない商品をどう説明して理解していただくか、どうやって健診に来ていただくか、とにかく自分で考えて行動するのみでした。
まさに営業活動ですね。活動の効果はいかがでしたか?
当時は営業活動をしている健診施設は他になかったので、徐々に成果が上がり枠が埋まるようになりました。現在も施設型の健診施設としては県下1位の受診者数です。
中山さんは地域医療連携課の課長も務められていますが、この活動のノウハウは貴院の地域連携活動にどのように生かされていますか?
営業活動のノウハウは前方連携に生かされましたが、茨城県県南地域ではリハビリが必要な患者さんを逆紹介できる回復期リハビリテーション・療養型病棟を持つ病院の数が少ないため、病床が空かない事態になりました。そのため、後方連携に力を入れてきました。『病棟を移るのと同じくらいの環境をつくろう』をコンセプトに、患者さんが転院する際は患者さんのパーソナリティーに関することまで申し送りするようにしました。また、当院のスタッフが定期的に転院した患者さんの様子を直接会いに行ったり、後方連携先の病院のスタッフさんが当院に来て転院予定の患者さんに直接会いに来るなど、患者さんが安心して転院できる仕組みを作りました。ただ、コロナ禍で密なコミュニケーションができなくなった間にそれまでの関係がリセットされてしまったので、ここからもう一度体制を立て直そうと考えているところです。
つくば市は自然豊かで都内へのアクセスも良いことから、人口の増加が見込まれています。環境の変化によって、地域の医療提供体制に変化はありますか?
つくば市に地盤の無い開業医の先生が増えているように思えます。この先生方は決まった紹介先はなく、患者さんの意向を最優先する傾向にあります。そのため、以前までの前方連携や後方連携といった活動に加えて、一般市民向けの広報活動を強化しています。例えば、商業施設などで開催されるイベントで講演したり、SNSによる情報発信に取り組んでいます。地域医療連携課の業務領域は拡大していますが、幸いにもITツールの活用に長けた職員ががんばってくれています。自治体や団体との連携も進んで行ってくれていて、基本的に業務は任せています。
地域医療連携は自院と連携先、患者さんの橋渡し的な存在で、高いコミュニケーション能力はもちろんのこと様々なスキルが求められると思います。中山さんは以前「地域連携はエース職員を配置すべき」というお話をされていましたが、特にどのスキルが必要だと思われますか?
どのスキルも大切だと思いますが、医事課を経験してから連携室の業務を担当するのが理想だと思います。医事は、医師・看護師・技術者など院内で関わる職種が多く、何より患者さんともつながりができます。常に自分の持っている知識をブラッシュアップしていかないとついていけない部署ですから、その習慣が地域連携活動でも役に立ちます。医事でなくとも、診療情報管理や診療報酬など、何か1つでも自分の武器や拠所となるスキルを身に付けることができれば、地域の医療機関の先生方からプロとして信頼されるきっかけを作れます。「この件は〇〇さんが詳しいから、今度聞いてみよう」と頼られるような存在になってほしいです。
地域医療連携スキルマップ
貴院では新入職員はすべて医事課に配属されるのですか?
基本的にはそうです。ただ、どんな部署に配属されたとしても「自ら考え、行動する」ということが大切です。評論家になっても、実際に行動に移せなければ結果は付いてきません。当院では総会を年に2、3回行うのですが、「私が評価したい人はこんな人だよ」とか「こんなことを望んでいるよ」と自分の言葉で全職員に直接伝えるようにしています。
医事課では様々な職種の方と連携していかなければならないとのことですが、病院の事務職の方々の中には、医師とコミュニケーションを取ることに苦手意識を持っている方が一定数いるようです。中山さんからアドバイスできることはありますか?
基本的に「コミュニケーションがつらい」という方には病院で働くことは難しいと思っています。採用する時も「コミュニケーションが苦手です」という方は採用しないようにしています。一定の基礎力の上にある、好奇心や素(素養)を大事にしています。経験を積んでコミュニケーションが苦にならなくなる方もいますが、経験を積んでもまだ苦手という方は、別の道を探すことも考えた方が良いと思います。厳しいことを言うようですが、体調や精神に負担を掛けて仕事をしていても、ご自身にも、関わるすべての方にとっても幸せなことではありません。その人に合った仕事が他に必ずあるはずです。
中山さんが目標としている人はいますか? また、その人はどんな方ですか?
特定の方はいないのですが、いろいろな方と関わって皆さんの良いところを取り入れたいと常に思っています。例えば、出張先や旅行先で病院の玄関を勝手に見学しています。それぞれの病院の良いところがあって、当院に合ったところを参考にしています。当院では職員が学会で発表する機会を積極的に作っているのですが、自身の経験や知識を体系化することも目的の一つですが、それ以上に『井の中の蛙』になって欲しくないと思っています。他の病院では、さらに進んだ取り組みをしているかもしれません。ひとりの完成された目標の人というより、多くの人の良いとこどりが目標です。私生活でも、各地で地域連携をがんばっている仲間たちと時々キャンプをして、地域連携について語り合ったりしていて遊んでいます。様々な方と交流することは自身のプラスになることは間違いないと思います。
最後に、中山さんの今後のビジョン(最終的に到達したいゴール)を教えてください。
私は今までこの病院でずっと過ごしてきています。これからもこの地域に住む方々に必要な医療を提供し続けられるように、この病院が継続していけることに、持っているスキルをすべて生かし切って道筋をつくることが自分のやるべきことだと思っています。
編集後記
中山さん、長時間のインタビューにお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。院内は開放的な雰囲気で、急性期病院でありながらアットホームな居心地の良さを感じました。学生の方々が病院見学に訪れているのを拝見して、「地域に根差した病院とはこういうことなのか」と実感しました。筑波大学附属病院様が目と鼻の先にある中で、貴院が地域の中でこれからどのような役割を担っていくのか、またお話を聞かせていただければと思います。
マーケティング部 神原